更新時の一言・・・大震災後

日付の新しい順です


平成23年4月22日 知らせを受けた前日の分から


(30日 夜)早く小さな祭壇の体裁を整えるために一日中バタバタしていました。パソコンを使って2パターンの遺影を作ったり・・・・。先ほど高校生とも話したのですが「遺影」という言葉もよく考えると興味深い言葉ですね。

ちょうど先週の土曜日(23日)はあの思いがけない電話を受けて地震に続いての激動の日々が始まったわけです。そしてまた教え子たちとのやりとりの中でとても偶然とは言えないことが頻発。不思議なものです。

もうじき日付がかわりますが、5月1日になるわけで・・・・サツキとメイ・・・トトロの季節です。うちの母親はこうしたことになってしまいましたが、明日からはトトロにあやかったような日々になってほしいものです。(それにしてもいつもは毎年気にしないでいた「母の日ありがとう」等々の街中の広告がやたらと意識にひっかかってきます。


(29日 朝)昨日は朝から仏間の模様替え。一日中かけてかなりスッキリしました。もっとも大半の荷物が別の部屋に移動しただけなので、そちらの部屋がより「腐海の森」化しただけなのですが・・・。それから居間も多少はかたづけました。余震に備えて本格的に片付けられないので部屋中に荷物は積んでありますが、かりに来客があっても数人なら受け入れられるようにしました。

夕方の仕事前にはホームセンターに寄ってお供えのための食器を購入。どれにしようかと迷っていたらフト桜をモチーフにしたものが目に入りました。さらによく探すと 湯飲み や お箸 でも同様の桜モチーフのがあって・・・。


母が最後の数日間に書き残したメモの中に桜の木の絵とともに書いてあった「平成23年きれいな桜みたかった!な・・・・・」に、せめて食器でこたえようと思いました。 

(28日 朝)ちゃんと時間に余裕をもって家を出たのですが、しばらくしてハッと気がつきました。靴が普段はいているちょっと傷んでいる靴・・・礼服には完璧にミスマッチ。あわてて戻って履き替えたのですが、電車の時間がかなり厳しくなり小走りに走りました。周囲からみれば小走りにもならない速さですが、心臓にもあるある種のダメージある私にとってはこんなに体を数分間にわたって動かしたのは20年以上ぶりかもしれません。まさかここでバタッと倒れてしまって・・・と真面目に考えてしまいました。かろうじて一番電車には間に合いました。(実際のところ2番電車だったら数分遅刻だったかもしれません)

火葬は新しい設備(?)の民間斎場のようで・・・1時間あまりで収骨まで済んでしまいました。窯のズラリと並ぶ広い室内のあちこちでもお別れが行われており(スケジュールがビッシリのようでした)いくつも棺があり、中には遺族を迎える準備のためにフルオープンになっていた棺もあって偶然中までみてしまったり・・・・。

ちなみに母の棺は霊柩車から室内に移動して、「最後のお別れはいかがいたしますか?ちょっとお勧めはできませんが・・・希望の方だけということにしますか?」というようなことを問われたので、私が「綺麗な思い出のままにしてあげてください」と参列してくださった7人の皆さんに伝え、私も対面はしないでそのまま窓もあけずに焼いていただきました。結果として親族・知人関係であの姿に対面したのは私一人ということになりましたが、あれを記憶として抱えて生きるのは私一人で十分です。母も「あんた一人に嫌な思いをさせちゃってごめんね」と言いつつ、そう思っているだろうし・・・。土曜日に私だけが連絡がつながって確認に呼ばれたのもそういう事なのでしょうから。

遺骨は本当は今後のことが決まるまで数週間でも数ヶ月でも業者が無料で保管してくれるということになっていたのですが、いろいろと考えきょうだいで相談して、結果としては私のところでひきとることになりました。この家はもともと母の実家ですので、とりあえずここに来て、おじいちゃんやおばあちゃんに包まれてしばらく過ごしてもらえたらな・・・という想いです。

さっそくそのことを聞いた一部の親戚が今日にでも私の家にお参りに来たいという申し出があったのですが、地震後の片づけがあまり進んでいないのでお茶を飲んでいただくようなスペースも確保できていないし、だいたい母の遺骨もまともな状態では安置できていません。やはりある程度の小さな祭壇をつくらなければならないので今日からお客さんを迎えられるように片付けのピッチをあげる必要があります。とりあえず目標は連休あけ・・・。遺影もこちらで準備するので普通の遺影より小さくなりますがパソコンでプリントアウトしたA4が入れられる写真額は昨日買ってきました。妹が選んだ比較的若い頃の写真をもとに今日作ろうと思っています。

ネズミ退治も本気でしないとあっというまに供えたものを荒らされてしまいそうなのですが、今のところ毒エサ作戦はネズミに軽くあしらわれてしまっています。

今回の「世間的常識」とは違う手順についても早くもいろんな意見が親戚から寄せられているのですが、今後なるべく本人が一番喜ぶ形で、しかも最終的には周囲の方々も「ちょっと変わった形だったけど、無事にあちらの世界に逝ったようだね」と笑顔を浮かべられるような、そんな風に済めばいいなと思っています。

私の中での感覚としては「万葉人」時代に立ち返るという感覚・・・・仏教が伝来する前だって、ちゃんと日本人の魂は自然にかえって浄化されていたわけですから。そう考えるとここしばらく万葉集であれこれあったことも、このためだったのかなという気までしてしまいます。

千の風なんていう歌がはやっていましたが、あれだって西洋のある詩を翻訳したといいますが、万葉時代からの日本人が持っていた感覚です。・・・・昨日は千の風どころか「万の風」といってもいいくらいの強風が吹き荒れていましたね・・・。まさかうちの母が吹かせていたとは思いませんが・・・ただ、先週の社会人クラス(私が警察署から電話を受けた前日)でのキーワードの一つが「風」だったので、余計に因縁を感じてしまいます。



(27日 未明)現在、3時25分。ゆうべ布団ではなくリブマックスで仮眠をとりはじめたのが0時ちょっとすぎ。ちょっと体にはきついですが、今またウトウトしたら確実に4時44分発の一番電車に乗れないと思うので起きています。(それにしてもすごい発車時刻)ボーッとしている方がかえっていいかな・・・・。

昨日から震度としては2や3ですがはっきりとした揺れの余震が目だって増えてきているような気がします。そろそろまたドーンと大き目の余震がくるのではないかと心配です。電車がストップしたり遅れたら、8時20分武蔵小金井駅集合に間に合わないので。(電車が確実に動いてくれるなら5時22分発の2番電車でもギリギリ間に合うのですが)

とにかく火葬して、その後のことはまたきょうだい3人で相談です。今日は夕方からお仕事なので火葬後に集まってくださった方々と(広く知らせなかったのでごく小数ですが)食事をとったらすぐ帰宅という感じです。

それにしても、何かの力が働いて私が「感情モード」になるようになるように仕向けられているかのような気がします。例えばゆうべも家庭教師に行ったら机の上にプリントがありました。家庭科の課題で、早い話がおうちの方に自分が生まれた時の想いや、育てる際のいろいろな思い出、エピソードを聞いてくるというもの。まだ未記入でしたが、とりあえずその場でグッと押さえるのが大変でした。(教え子たちには言っていません)その分、帰宅してからそっち関連でいろんなことを思い出して・・・。そんな調子でやたらとそうした感傷的な気持ちにさせられることばかりが周囲に起きています。

いくつかの朝の番組を毎日録画して必要な情報などだけを早送りでチェックしているのですが、田中好子さんの告別式で流されたという病床で録音された肉声・・・本当に息苦しそうな中で語っている内容にも胸うたれる思いでした。

さて、あと30分くらいしたら礼服に着替え始めてお出かけです。

(26日 朝)昨日スーパーにいった際、魚売り場で「ほたるいか」をみてまたまた涙腺が・・・・。母と都内をあるきまわった頃、ほたるいかが好きな私はほたるいかの塩辛などを買って・・・それいらいよく電話で母に「スーパーでほたるいかを見ると、いつもあんたを思い出すわ」と言われていました。そのことを思い出して・・・・。

で、昨日はそれを買ってきて、いつものように砂糖醤油味で煮て・・・それをつまみにして泣きながら晩酌。その最中はあまりイメージをぶち壊されるようなフラッシュバックは起きずに済みました。そんな時間が増えていくといいのですが・・・・

本当だったら明日の火葬や今後のこともあるから悲しみに浸っているヒマはないし・・・だから感傷的になってしまうような食べ物などは避けるべきだとも思うのですが、それで涙が流せる自分がいるのなら、それに素直になろうと思っています。無理してフラッシュバックに苦しめられる時間帯が多い方が、地震による心労もたまっているので本当にどうにかなってしまいそうなので。

(25日 夜)田中好子さんの報道をみるたびにイメージが重なって・・・・。それからうちは私が小さい頃から家族の誕生日だの「母の日」云々のことなどはほとんどない家庭でした。だからその後何年たっても「母の日」だから何かとかは全くありませんでした。それなのに今日、ホームセンターに行った際にお花売り場で「母の日への贈り物・・・」というポスターを見た時にも突然涙があふれてきて・・・・なのに次の瞬間、そうした世界をぶち壊すフラッシュバックが起きてウッとなり・・・・本当にそれの繰り返しで感情がグチャグチャにされまくっています。土曜の夜からここ何十年もなかったことですが、ボーッとするくらい格安のビールテイスト飲料などを飲んでしまっています。アルコールに逃げていると言われればそれまでですが、とても正常な神経では夜を独りで過ごせないくらい繰り返し繰り返し脳裏と嗅覚に襲ってくるフラッシュバックは強烈です。

そこに本格化してきたのが仏間に巣食ったネズミとの攻防戦。震災後のたぬき邸の非常食を狙って最初は台所にやってきたのが台所をある程度片付けたらすぐに仏間に移動。仏様へのお供えのご飯を狙いだし・・・この部屋にあった非常食も別の部屋に片付けたら怒ったのか腹いせなのか分かりませんがコードを狙いだしたのです。今日ホームセンターにいったのは先日買ってきたネズミ用の駆除剤には全く手をつけようとしないので、嫌がる臭いでというのを購入のためでした。それを電話線コード周辺にさっそく置いたのですが・・・さきほど打ち合わせの電話をかけようとしたらうんともすんとも言いません。調べたら大元に近いところの電話線を完全に噛み切っていました。こうなってくると完全にこちらに対する敵意剥き出しとしか思えません。

とりあえず古い電話線をみつけだしてつないで急場をそのぎましたが、明日起きたら再起不能になるくらいズタズタにされていそうです。そうなったら更新も無理かな?????更新がすぐ復旧したらネズミのせい、もしも何日も復旧しなかったら・・・まさか・・・・ね・・・・。

(25日 午前)メールソフトが極めて不安定で、ちゃんと送信できることもあれば突然送受信とも全くダメになることもあり・・・。携帯は全く不慣れなので、そちらでメールの送受信ができるようにアドレスを登録したりするのも難儀しています。

それにしても「感情オフモード」にしておくのが今回ばかりは大変になっている自分に戸惑っています。比較的私はこうした状況になればなるほど数日間は完全に感情オフで頭が妙に澄み切った状態というか・・・涙も何も出ずに淡々と行動する自分にいつも驚いていたのですが、今回は土曜日はそうできていたのですが、昨日の朝、上野駅で母が比較的元気だった頃に東京へ出た私と都内のあちこちに行った際に母がよく着ていた服装とトレードマークのガラガラ車そっくりの、ちょうどその頃の母と同じくらいの年齢で雰囲気も似ている方がいるのを見かけて・・・・フッと、待ち合わせをしている場所で母を見つけたかのような錯覚をするくらい本人と出会ったような感覚になって・・・そうしたら一度に感情モードになってしまいました。上野駅を歩いていてもあとからあとから一緒に歩いた時のことが思い出されて・・・さすがに涙があふれて・・・。

母の住んでいたところの玄関のところにも最近のトレードマークだった帽子などが置いてあり・・・きつかったですね・・・。それはそのまま水戸に持ち帰ってきました。

何とか警察署に着くまでには制御状態にしましたが、ゆうべもオン・オフを不規則に繰り返しています。

(24日 夜)事件ではないので司法解剖というのではないと警察署の方に言われ・・・・とにかく解剖後の書類の手続きをし、それから妹・弟とも落ち合えたので、3人で母の住んでいたところにも行ってみました。ちょっと具体的には書けないことばかりだったのですが、母が日に日に衰弱していく中で覚悟をきめながら必死に書いた小さなメモを私が見つけました。普通だったらまず見過ごされてそのままになってしまう状態だったのが奇跡的と言う感じで偶然みつけました。これはもう母がその場にいて必死に導いたとしか思えません。

私が次に東京へ行くのは水曜日です。(午前中に火葬)

*メールの送信だけではなくて受信もできなくなっていて、いろいろ調べたら、なんとネズミがいろんなケーブルをズタズタにしているのが分かりました。かじりかけだったのが今日の留守中に完璧に荒らしたようです。

実は地震後、仏壇のお供えがなくなることがあり、余震で落ちたのかなと思っていたのが、ネズミがいついていたのは気がついていました。それで食べ物になるようなものを片付けるようにしていたのですが、その腹いせなのか、そういった攻撃に出てきたようです。今夜またかじられてしまうのでしょうかね・・・・電話線が完全にやられたらホームページの更新もアウトになりそうです。

(25日 朝)これから東京へでかけますが、何故かゆうべから突然メールの送信がうまくいかなくなりました。受信はできるようですが・・・。慣れない携帯で急ぎの返信はしているのですが、初めてなのでなかなかうまくいきません。帰宅はまた遅くなる予定です。

(24日 夜中)今日は確認と司法解剖同意書等々で帰ってきました。また朝になったら東京へ出かけます。しばらく東京との行き来になるかもしれません。トラウマというかフラッシュバックする内容がワーッと増えました。(具体的に書くことは控えます)

(23日 午後)ついさきほど東京の警察から連絡があって、独り暮らしをしていた私の母が遺体で発見されたと・・・・見聞にすぐに来て欲しいと言われたのでとにかく東京へ出かけてきます。更新やメール受信はしばらくできなくなるかもしれません。

(23日 朝)ゆうべの社会人クラスは私を入れて8人。元隣のクラスではあったのですが家庭教師で中3の時に教えたT君とその時以来の再会。小3の時に学年全員に書いてもらった「おうち作文」でT君のもあったのですが、それが今、彼のやっている仕事にも密接に関わる意識が根底に流れていて面白かったです。

ゆうべの内容は「風」や「時空(意識)の転換」について・・・稲荷神の方まで話が発展しました。キャンディーズの「春一番」も話題に出しました。あと、今週の便りに書いた「究極のぼんやり」ということについての反応が社会人っぽかったのも面白かったです。

スーちゃんのことについてもテレビで特集されていましたが、乳がんで手術を受けたのが1992年。その後再発を繰り返していても早期発見だったので一般には知られずに仕事ができていたようです。「ちゅらさん」が放送されていたのは2001年上半期。主人公が看護士という仕事に就くこともあって、様々な形で健康や生命や死という問題が織り込まれていました。そうした内容にからむ場面でも印象的な演技をされていたのですが・・・・その時すでに癌と闘っていながらだったんですね。どんな想いで演じられていたのでしょう。いくつかDVDを見返しながら考えてしまいました。

(22日 朝)ゆうべは教え子の家で帰ろうとした頃に緊急地震速報で携帯がうなりだし地震。だんだん揺れが大きくなって「おさまるか?もっと強くなるか?」という緊張感の中、収束はしましたが地震が引き金になって起きた不整脈はすぐにはおさまりませんでした。水戸は震度4・・・たしかにそのくらいでした。夜中にも余震は続きやはり不安定な気持ちのまま安眠できませんでした。

夜明け近くになってようやくウトウトしてきたところで夢をみました・・・・私が小さい頃から最も繰り返しみている「火葬場」関連の夢でした。ごく簡単に内容を紹介すると、私が間もなく息をひきとることになっていて、既に運ばれています。ところが予定の時刻になっても私が生きていて・・・周囲の人たちが待っている時間がもったいないということで斎場の掃除を始めたので、私も雑巾崖を手伝います。床を磨きながら「あと数分で自分はこの世からいなくなってしまうんだな・・・・」とぼんやり考えています。ところがなかなか心臓が止まらない。やがて「予定が変わった。まだ生きているように」と神の声のようなものが心の中に聞こえてきて・・・みんなで火葬場から立ち去りました・・・という夢です。

スピリチュアル的には「火葬場」の夢は意識や運命の転換を暗示しているとよく言われますが・・・どうなんでしょうね・・・。

数年前にみた窯の中で息を吹き返したのに「どちらにしても死ぬんだからそのまま我慢していなさい」という声が聞こえてきた夢と比べればまだマシな内容ですが、目を覚ましてからあまりいい気分ではありませんでした。

布団から起き出して新聞をとり真っ先に飛び込んできたのが、元キャンディーズの「スーちゃん」死去の記事!まだ五十代なのに・・・・かなり前から乳がんをわずらっていたなんて全く知りませんでした。

スーちゃんと言って私が真っ先に思い出すのはNHK連ドラの名作「ちゅらさん」でのお母さん役です。何度もほろりとさせられました。キャンディーズとしての全盛の頃は、私は女性アイドルよりも西城秀樹のファンだったのであまり印象にありません。(ちなみに西城秀樹さんに対しては「こんなお兄さんがいていじめから守ってくれたらいいのにな」という意味でのあこがれがありました。胴長短足ということでもいつもからかわれていたので、秀樹の足の長さにも真面目にあこがれていましたね)

ただ、教師になって数年後、カラオケ嫌いでいつも宴会などのカラオケを拒絶していた私が、ある時にどうしても他校の校長の命令で歌わなければならない状況となり、歌のリストをみても知らないものばかりで困った時に、パッと目に入って何となく印象に残っていた「春一番」を歌ったというので歌手としてのキャンディーズにも少しは因縁を感じています。私が「春一番」を歌ったことはまもなく自分の職場にも伝わり、以来それまでカラオケは全くやらなかった私は勝手にこの曲をかけれれて何度も絶叫したものです。(キーが高いので裏声になり絶唱というよりは絶叫になってしまいました)

ご冥福をお祈りいたします。・・・・今日、ちゅらさんを観返そうかどうしようか正直迷っています。なんだかまだ受け入れられない気持ちでもあるので・・・。